怠惰

怠惰である自分が嫌いという怠惰を。

土岐麻子『ソルレム』を読む

2021年11月にリリースされたアルバム『Twilight』の1曲目に収録されている『ソルレム』。作詞は土岐麻子氏、作曲はトオミヨウ氏。

 

はじめて私がこの曲を聴いたのは2021年リリース当初。友人に勧められて聴いたらアルバムごとどっぷりハマり、帰宅途中などずっと聴いている。しかしこの「ソルレム」という単語の意味を知ったのは今月だ。”誰も知らない ソルレム ソルレム 狂ったように咲いては”という歌詞から、ソルレムという花があるのかと勘違いしていた。そのかわいい花をかわいい恋心に例えているのかな?と。

でも違った。ソルレムとは、韓国語で「ときめき」という意味なんだそうだ。このことを知る前と知った後では感じる印象が変わってくる。土岐麻子スゲ~となったので、どこがスゲ~と思ったのか感想文を書いてみる。

 

歌詞はこちら。本記事での””内引用はこちらの歌詞を引用したものである。

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「ソルレム」の対比としての「ひまわり」

土岐麻子は作中でソルレムを咲くものとしてとらえており、ほかにも花にまつわるモチーフやメタファーがちりばめられている(花瓶や摘み取るといった動作など)。そして、作中で咲くものがもうひとつある。それがひまわりだ。真昼に輝くひまわりと、西日にすがるソルレムが対比として効果的に描かれている。

”あの夜真っ暗な空き地に 一面に咲き並んでいた ひまわりがなぜか怖かった”

なぜ怖いのか。昼間に堂々と咲き誇る姿が印象深いひまわり=お天道様が、夜一面に咲き並んでこちらを見つめている。何かしら後ろ暗いことがある関係を継続している自分たちを罰しているような、責めているような視線を感じたから「怖い」と感じてしまったのだろう。「日陰者の自分たち」というイメージを鮮烈に浮かび上がらせる歌詞だ。

一人称「僕」と、ふたりで摘み取る必要のある愛への想像

後ろ暗い関係と言えば、浮気か不倫だ。と思う。そして、私個人としては本局は女性目線の曲であるように感じる。めちゃくちゃ偏見だが、マジョリティ男性は自分のときめきを花には例えないのではなかろうか。

しかし違和感を覚えるのは一人称の「僕」と、”僕らの手で摘み取るしかない行き場のない愛”という歌詞である。

「僕」に違和感というのはまあ大したことはなく、一般的に男性が用いる一人称であるためなのだが、後者の歌詞と合わせると意味深なものとなる。不倫や浮気をする人間というのは、往々にして契約を結んでいる相手のことを結局選ぶ。なので浮気相手は捨てられてしまう。なので、愛を摘み取るのは僕らでなく、僕だけでいいはずなのだ。僕さえこの関係をあきらめてしまえば、すべてが元通りになる。では、ここで「僕ら」と表現している意味は何だろうか?

様々な状況が考えられるが、私の頭に浮かんできたのは、関係に何らかの障害を抱えているセクシャルマイノリティカップルだった。

最近ではオープンなカップルも増えてきているが、まだまだ世の中に差別は存在する。そのような中で、愛し合う二人が自ら関係を解消し、社会的に良しとされている方向へ向かわなくてはならない状況は容易に想像できる。

やっぱ土岐麻子スゲ~

歌詞のひとつとっても意志を感じるし、”僕ら”への想像が膨らむ。そしてきゅっとせつなくなる。まさにアルバム名『Twilight』にふさわしいリード曲だ。皆さん聴いてください。