終わりかけの紅葉
恋人として初めて彼とデートをした。
前日夜から私の自宅に来てくれて、料理を一緒に作ってお酒を飲みながら食べ、W杯を観戦しながらいろいろな話をした。他愛もなくて、思い出そうとすると思い出せないような話、でも記憶の底には残っているような話をいくつもした。
来年から勤務地が東京になりそうだと話すとすごく喜んでくれた。互いの距離が物理的にだいぶ近くなる。休みが合わず月イチで会えるか会えないかで寂しいね、という話を先日していたので、休みも合うようになり会う頻度も増やせそうなのがうれしい。この遠距離に終わりが見えたことに安堵した。
はじめてのセックスは最後までできなかった。でもそれすらも愛おしかった。年単位で久しぶりに愛情の伴う性行為をしたのだけれど、こんなに気持ちよくてこんなに幸せなものだったっけと思った。ぜったいにこの手を離してはいけないなと思った。
抱き合って眠るのが息苦しくなかった。彼の匂いに包まれて安心した。この人がいれば生きていけると思った。ようやく人間に戻れた心地がした。
朝起きておしゃべりしたりいちゃいちゃしていたりしたらいつの間にかお昼になっていた。近所の洋食屋さんに行ってランチをした。店主さんが気さくな方でアットホームな雰囲気がよかった。名物料理がとてもおいしかったので、今度また行ってみようと思う。
そのまま牧場までドライブをした。はじめて手をつないで一緒に歩いた。ああ、私はいま彼と付き合っているのだと改めて実感する。併設されている神社の境内に生えていたモミジが紅葉していてきれいだった。おみやげとソフトクリームを買って一緒に食べた。感動するくらいおいしかった。
そのあとは紅葉を見に山の方へ移動した。もうほとんど落葉していて少し寒々しかったが、久々に自然の中で深呼吸をしてリフレッシュできた。
帰宅し2時間ほど昼寝をして、またおしゃべりした。将来的には一緒に暮らしたいねという話になって、先を見据えてくれているのがうれしかった。ただ同棲の際は親御さんにご挨拶が必要らしく今すでに少し緊張している。気が早い。帰省したときに彼女がいることをお知らせするようだ。それまでには文化的な生活を営める人間になっていたい。
来月末まで会わない予定だったのだが来週また会えることになり、みくのしんカレーを作って一緒に食べる約束をした。かなりうれしい。
帰ってほしくなさすぎてかなり引き留めてしまったことを反省している。別れ際、寂しすぎて泣いてしまって困らせてしまった。こんな重い女でもかわいいと思ってほしい。
空白の数年があり、縁あって恋人としてまた一緒に日々を過ごせるのがうれしい。もう二度と手放してはならないと彼を抱きしめながら何度もそう思った。彼も私も大人になった状態で再会できてよかった。もしあのとき彼と付き合う選択をしていたら......と今までの私は思っていたけれど、きっと今のタイミングで出会いなおすのが最良なのだろう。
人生の伏線回収をしていった結果、彼氏ができた
7月に元々彼から突然連絡があり、会ってきた。別れたのが19年の2月なのでもう3年半の月日が流れているわけなんだけど、やっぱり忘れられない、この先の人生いっしょにいたい、と言われた。
正直うれしかったし、ここでOKすればトントン拍子で結婚まで行くだろうし、実家お金持ちだから経済的に困ることもないだろうし......と打算的な考えが頭をよぎった。
でも、その日、全然楽しくなかった。仕事の話ばっかりだったから、とかそういうわけではない。あ~付き合ってたときもこういうところにイライラしてたな~というところが多すぎた。条件としては魅力的だったし、結婚=社会契約と考えているのでここで落ち着くのもアリか......と思ったのだけれど、もう一度会う気になれなくて、連絡を取るのをやめた。恋愛的な好きじゃなくていいから一緒にいてくれとまで言われたのにね。ごめん。無理だった。
9月に小中と両思いだった男の子から突然連絡があり、会ってきた。変わらず楽しい人だったし会話も弾んだ。30歳で誰も相手いなかったら結婚しよう~とかお決まりのことを約束し、また遊ぼうとなりその日は解散した。
10月は高校の友人複数名から遊びのお誘いが入った。部活の友人とクラスの友人。実際に会うのは12月以降になりそうだけれど、久々に連絡をとれてうれしかった。早く会いたい。
なんかこのへんから、あれ…俺の人生総まとめに入ってる?と思い始めた。今まであった人間関係の伏線が全部回収されていくような感覚。これ、全部予定消化しきったら死ぬのでは?という気持ちになった。
11月、以前流れてしまった大学の同期との飲み会がまた企画された。大学のときから今までずっとほんのり好きで、夢に出てくるぐらい忘れられなかった男の子と2年ぶりぐらいに再会した。久々すぎて、そして相変わらず顔がよすぎてどぎまぎしてしまった。遅刻して行ったためみんなもう出来上がっており、追いつくためにたくさん飲んでいたら追い越してしまった。あんまり記憶がない。楽しかったという感覚しか覚えていない。そして気づいたらその男の子とふたりでビジホにいた。
うっすら覚えているのは、ネカフェに泊まろうとしていた彼を「ぜったいやわらかいベッドで寝た方がいい!ホテルとってるから一緒に行こ!」と私が誘った記憶......。やったな......。これここからどうする?アセアセと思ってたら向こうがトイレで吐きはじめてちょっと冷静になった。
ちょっと本当に申し訳なくなるくらいうっすらとしか覚えてないんだけど、苦しそうな顔でめっちゃ好き......と言われたのを覚えてる。今も鮮明に顔だけは思い出せる。よすぎた。胸キュンどころではなく胸ギュゥゥゥゥゥンがすごい。完全に持ってかれた。
元彼と付き合っていた時から、もしあそこで彼と付き合う選択をしていたらどうなってたんだろうと考えていたし、別れた後もなにかにつけて元気かなとか友達としてでいいから会いたいなと思っていたので、特に全く断る理由もなくむしろ歓迎というか感謝というかな気持ちでお付き合いすることになった。その日はハグしてキスして泣いて寝た。
これまでの伏線回収はここにつながってたのか~~と思った。序盤で手を打っていたら大後悔するところだった。あぶないあぶない。やっぱり間違いなくベストな選択肢以外は選ばないようにした方がよいという学びを得た。たとえその時点では現実味のないようなベストであっても、可能性が1%でもあるならそれをつかみに行った方がいい。ホテルに誘ったわたし、よくやった!
土岐麻子『ソルレム』を読む
2021年11月にリリースされたアルバム『Twilight』の1曲目に収録されている『ソルレム』。作詞は土岐麻子氏、作曲はトオミヨウ氏。
はじめて私がこの曲を聴いたのは2021年リリース当初。友人に勧められて聴いたらアルバムごとどっぷりハマり、帰宅途中などずっと聴いている。しかしこの「ソルレム」という単語の意味を知ったのは今月だ。”誰も知らない ソルレム ソルレム 狂ったように咲いては”という歌詞から、ソルレムという花があるのかと勘違いしていた。そのかわいい花をかわいい恋心に例えているのかな?と。
でも違った。ソルレムとは、韓国語で「ときめき」という意味なんだそうだ。このことを知る前と知った後では感じる印象が変わってくる。土岐麻子スゲ~となったので、どこがスゲ~と思ったのか感想文を書いてみる。
歌詞はこちら。本記事での””内引用はこちらの歌詞を引用したものである。
「ソルレム」の対比としての「ひまわり」
土岐麻子は作中でソルレムを咲くものとしてとらえており、ほかにも花にまつわるモチーフやメタファーがちりばめられている(花瓶や摘み取るといった動作など)。そして、作中で咲くものがもうひとつある。それがひまわりだ。真昼に輝くひまわりと、西日にすがるソルレムが対比として効果的に描かれている。
”あの夜真っ暗な空き地に 一面に咲き並んでいた ひまわりがなぜか怖かった”
なぜ怖いのか。昼間に堂々と咲き誇る姿が印象深いひまわり=お天道様が、夜一面に咲き並んでこちらを見つめている。何かしら後ろ暗いことがある関係を継続している自分たちを罰しているような、責めているような視線を感じたから「怖い」と感じてしまったのだろう。「日陰者の自分たち」というイメージを鮮烈に浮かび上がらせる歌詞だ。
一人称「僕」と、ふたりで摘み取る必要のある愛への想像
後ろ暗い関係と言えば、浮気か不倫だ。と思う。そして、私個人としては本局は女性目線の曲であるように感じる。めちゃくちゃ偏見だが、マジョリティ男性は自分のときめきを花には例えないのではなかろうか。
しかし違和感を覚えるのは一人称の「僕」と、”僕らの手で摘み取るしかない行き場のない愛”という歌詞である。
「僕」に違和感というのはまあ大したことはなく、一般的に男性が用いる一人称であるためなのだが、後者の歌詞と合わせると意味深なものとなる。不倫や浮気をする人間というのは、往々にして契約を結んでいる相手のことを結局選ぶ。なので浮気相手は捨てられてしまう。なので、愛を摘み取るのは僕らでなく、僕だけでいいはずなのだ。僕さえこの関係をあきらめてしまえば、すべてが元通りになる。では、ここで「僕ら」と表現している意味は何だろうか?
様々な状況が考えられるが、私の頭に浮かんできたのは、関係に何らかの障害を抱えているセクシャルマイノリティのカップルだった。
最近ではオープンなカップルも増えてきているが、まだまだ世の中に差別は存在する。そのような中で、愛し合う二人が自ら関係を解消し、社会的に良しとされている方向へ向かわなくてはならない状況は容易に想像できる。
やっぱ土岐麻子スゲ~
歌詞のひとつとっても意志を感じるし、”僕ら”への想像が膨らむ。そしてきゅっとせつなくなる。まさにアルバム名『Twilight』にふさわしいリード曲だ。皆さん聴いてください。
CRCK/LCKS『クラックラックスのテーマ』への感想
仕事場が変わり、徒歩で通勤するようになった。
通勤時間がこの世で一番無駄な時間だと思っているので、ただ歩くだけではもったいない。それに、仕事に向かう憂鬱な気分をなんとかマシにしたい。
なので、最近は音楽を聴きながら歩いている。
その日一番最初に浮かんだ曲を聴くことにしている。
よく聴くのは、TWICEの『The Feels』や折坂悠太の『さびしさ』、宇多田ヒカルの『君に夢中』、そしてCRCK/LCKSの『クラックラックスのテーマ』。
わたしはこの『クラックラックスのテーマ』について語りたい。
テーマソングと聞くと、何が思い浮かぶだろうか。
アニメのOP曲やCMソングなど、その対象の「自己紹介」的な曲が頭に浮かぶのではないだろうか。
しかし、この曲はそうではない。CRCK/LCKSというバンドに通底するテーマ(主題)を表現した曲であると私は思う。
曲調は明るくポップなのに対して、歌詞は日々のやるせなさや誰かを思う気持ちの切実さが表現されている。
大人になっていくにつれ、いやなことを飲み込んだりいなしたりするのがうまくなっていく。不快な感情は蓄積していくが気づかず何も感じなくなっていき、社会になじむ「まっとう」な人もいる。でもわたしはそうなれない。なれない自分がばかだとも感じるが、今のままでいつづけたい自分もいる。その矛盾を抱えながら今日も生きていく。
こういったメッセージが込められていると感じた。
歌詞の中で印象的なのは、「石ころ」と「ストロベリーキャンディ」の対比だ。
曲中で、石ころは自分のいやなことを少し和らがせるが体にどんどんたまっていくものでもあり、昔好きだった人の目玉の代わりに詰まっていたものであった。向精神薬などの薬ともとれるし、重たい「いやなこと」の塊ともとれる。たまりすぎると好きだった人のように体の器官ととってかわり、何も感じなくなってしまうのかもしれない。もしかすると自ら石ころを詰め、自分の感覚を麻痺させてしまったのかもしれない。
それに対してストロベリーキャンディは、子ども時代を象徴するものである。赤色で甘酸っぱく、目にも舌にも鮮烈な刺激をもたらす。かくいう自分も、味はもう感じなくなってしまっている。でも、思い出すことはできる。忘れてしまった方が現実に絶望せずに済むのに、確実に覚えているし何度も思い返すのだ。
このふたつの鮮やかな対比が、曲に色彩感とキャッチーさをもたらしている。
そして、「自分」と「昔好きだった人」の対比も効果的だ。
好きだったころは目玉があったのに、今は石ころを詰めて(何も見えなくなって・感じなくなって)しまった人。道は違えてしまったし、今後も一緒になることはないけれど、どうか幸せでいてほしいという祈りの切実さがひしひしと伝わってくる。
自分は曲中で「自分の気持ちを持ち続けている」ことの方が間違っているのだと感じているのではないか。しかし、自分の感情に目を向けることををばからしいことだと言いつつも、答え続けている。そんな矛盾を抱えながら生きている姿に、自分を投影してしまった。
わたしのことをよく知らない上司との軋轢。だんだんと話が合わなくなっていく家族。価値観がずれてしまった友人。思い浮かぶシーンがいくつもある。そのたびに自分なりの石ころを飲んでやりすごす。でもその悲しさややるせなさは確実にたまっていく。
わたしの目玉はまだついているだろうか? わからない。でも、この曲を聴いて通勤途中なのに涙しているうちは大丈夫なのだと思う。
少なくとも、耳は石ころになっていない。
折坂悠太『心理』@渋谷LINE CUBE(12月2日)の覚え書き
折坂悠太のライブパフォーマンスはTVでしか観たことがなかった。その中での彼は緊張しているのか、声に音源のような安定感、伸びやかさ、豊かな倍音がないように感じていた。
メチャクチャ好きなアーティストなんだけれども、生歌がへたくそだったらいやだな~と思ってしまったため、ライブに行くことを決意...。
席は1階3列目。ステージ向かって折坂悠太から左側は完全に丸見えでした。表情までみえた。最高。
kohei
真っ暗な中ではじまった『kohei』。音源よりもよりノイズが入っていて、これから始まるライブへの緊張と期待が入り混じる不安定な気持ちに。
爆発
1音目からもう感動。ドラムの反響で「あ~コンサートホールの前の方ってこれがあったな~」と懐かしい気持ちに。出だしからかなりピッチが上がり気味でちょっとハラハラした。上がりすぎて途中でなんか「ん?」ってなってなかった? 声がいい。「もういいかい」の地声とファルセットの切り替えが素敵すぎる。歌がうまい...。アウトロで改めてアンサンブルのいいバンドだなという印象を受ける。
心
インタビューを読んだ後だったのでいろいろ考えてしまった。今の状況下と当初の発想としての戦争下を重ね合わせてしまう。その中で折坂悠太が「本当に来るなら 本当に待ってるよ」で腕を広げてわたしたちを受け入れるポーズを示してくれたことになんだか救われた。あとシャウトの声がいいなあ...(これライブ中に数百回感じた)。
悪魔
ここでギターを置いて片手を腰に当てて歌い始めたのが本当にかっこよかった。折坂悠太の歌声にあるレトロさというか、深みがポーズとマッチしていてなんだか大正時代のようだった(その時代に生きてたことないけど!)。「戦争も形無しさ」でうんざりといったポーズをしていたのがチャーミングだった。エ音の倍音の乗り方が本当に好きだなと思った。
みーちゃん
2018年のアルバム「平成」から。全然アレンジが違って洗練されていてよかった。悪魔のポップさから一転かなり難解でオカルトなおどろおどろしい雰囲気に。『心理』以外からもやってくれるんだ~とうれしくなった。
揺れる
同上。少しテンポが速くさらっとした演奏になっていた記憶がある。おどろおどろしさから郷愁への転換。
そして朝顔。ドラマ『監察医 朝顔』には東日本大震災・故郷がテーマの一つとしてあったので、その流れかな。AメロA'メロのアレンジ、よかったと思います。もともと出るか出ないかのギリギリの音域で歌うのがその語り手(≠歌い手)の心情を表していていいなと思っていたので少し残念な気持ちがあったり...なかったり...。
あとやっぱりサビのファルセットのゆるみみたいなのは気になった...まあビチビチに張る歌でもないのでアレなんですが、なんか埋もれてしまってもったいないなと思った。音源だともちろんボーカルがよく聞こえるようにミックスされてるのでいいんですが。
あとめちゃくちゃ気になったのが照明なんですが、1番で舞台向かって左手奥から差し込むスポットがコントラバスの金具に反射してしまって、サーチライトみたいになってしまっていたのがメチャクチャ気が散ってしまった(不注意つよめで集中しづらい人間なので...)。そういうのってリハで確認しないんですかね?2番では逆サイドからスポットが当たっていたので演出効果として照明は大事だったのではと思ったんだけど...どうなんですか???ワカラン
針の穴
同じEP「朝顔」から針の穴。生きることの難しさをうたいながらも曲調は明るい。朝顔での祈りから、自分自身で生をその難しさごと肯定してくれている感じがして救われる~。なんか異様に明るい曲だよな...。弦がコントラバスしかないからやっぱり聞こえ方が違ってスピッツみたいだった(?)
トーチ
ぐっと落ち着いた雰囲気に変わる。「肺が 満たされてく」の満たされ感異常なんですけどわかります? リッキーさんの声がいい!!ということに気づいてしまった。折坂悠太の声との親和性高くて気持ちよすぎた。後半サビのハモリの音の並びが本当に好き。
口無し
2018年のEP「ざわめき」から。単純なピアノリフの上でくりひろげられる掛け合いがきもちよかったなあ。
茜
同上。口無しでも感じたけど、3年前の曲とは思えないというかそりゃアレンジしてるからそうなんだけど、折坂悠太の声はずっと変わらず魅力的だなあと思う。そのうえで歌の技術みたいなのはどんどん上がっているのですごい。かなり子音の最先端から音がみっちり詰まっている感じというか...いやライブ観るの今回が初めてなのであくまで音源との比較ですが...マチュアな感じというか...
夜学
2018年のアルバム「平成」から。夜学のアレンジかっこよすぎた!!!!!夜学...だよな...? ってなった。印象的なサックスのリフがなくて、もっとシンプルでソリッドな音になっていた。かなり好き。あとやっぱりシャウトの声がかっこいいんだよな~~~この声が口から出たら人生楽しいだろうな...。
鯱
ワンツーがいい声すぎるのよ!!!! 歌詞の持つ子音特有のリズムみたいなのが際立った曲ですごく好き。「ちょっとばかしの「」を」で手を「」にしたところ本当にかっこよすぎて泣いた。””←これじゃないのがいいですね。日本...。「フーガ...」のところで女声が強くなりすぎちゃうのがちょっと気になっちゃった!
荼毘
Bメロからのリズム感というかタイム感というかグルーブが絶妙~~。スキャットのところずっとなんていってんだろうなと思ってたんですけど、「だやば...ねつあびあ」に聞こえますね。日本語の発音を生かしたスキャットって新鮮。
炎
「この雨は続く」で照明が青く、しだれるのがすごく素敵だった。Aメロの無機質な感じから急に雰囲気が変わるところで照明が効果的に働いていた。やっぱりコロナの状況で、同じ空間でこの曲を歌ってくれているということになんか感動した。同じ炎を囲む者たちがこうしてLINE CUBEに集っているんだなというか...。そしてこの静かな曲の中で静かな怒りの炎が燃えている、それは雨でも消えることがない、っていうのがやっぱりひしひしと伝わってきた気がした。
星屑
曲のテーマからしてもう泣いちゃう。この歌謡曲、流行歌的な進行かなり好き。この曲もファルセットが緩んでたから、やっぱりわざと緩ませてるのかなあ。「アニメ」じゃなくて「漫画」っていうのが時代感を感じるというか、折坂悠太の語彙って感じがしてなんか好きなんですよね。おばあちゃんもアニメじゃなくて漫画って言ってたなあ、とか思い出す。
ユンスル
こってりとした曲からさわやかな川の流れを感じるユンスルへ。イ・ランのところどうするのかなあと思ってたんだけど、音源が効果的に使われていた。ただ今回のライブではこういうパターンが結構多くて、個人的にはちょっと食傷気味でした。まだこのランダムな音楽の楽しみ方がわからない。高校の先輩からは何か一つ楽器の軸を決めてそこを聴くといいよと言われた。次はそうします。
春
鈴を片手に持っている佇まいが素晴らしかった。鈴の音が澄んでいて美しかった...神事みたいだった。そのインパクトが強すぎる。
坂道
大好きな曲。「過ぎてく 家や木々を 抽象の絵に変える」って歌詞が最高すぎると常々思ってる。
さびしさ
くれ~~~~~~~!
鯨
最後の演出がすごくてざわついちゃった。結局あのアルミホイルみたいなのって何だったんだろう
絶対に次のライブも有給とってでも行く。WOWOWの配信も絶対見る。以上です。
お酒飲みながら書いてたら眠くなってきたので寝ます、後半追記するかも
CRCK/LCKS作品の作詞・作曲者(完全に自分用)
1st EP CRCK/LCKS
いらない
作詞作曲:小西遼
簡単な気持ち
作詞作曲:井上銘
坂道と電線
作詞作曲:小西遼
2nd EP Lighter
Get Lighter
作詞:小田朋美 小西遼
作曲:小西遼
パパパ!
作詞・作曲:小田朋美
Non-Brake
作詞:小田朋美
作曲:小西遼
すきなひと
作詞:小田朋美 小西遼
作曲:小西遼
エメラルド
作詞:ミトモ珈琲二号店
作曲:井上銘
傀儡
作詞作曲:小田朋美
3rd EP Double Rift
Introduction
Skit
作曲:小西遼
窓
作詞作曲:小田朋美
zero
作詞作曲:小西遼
病室でハミング
作詞:文月悠光
作曲:小田朋美
Shower
作詞:小西遼
作曲:小西遼 小田朋美
1st album Temporary
Introduction
KISS
作詞作曲:小田朋美
嘘降る夜
作詞作曲:小田朋美
Searchlight (Album ver.)
作詞:小田朋美
作曲:小西遼 小田朋美
ひかるまち
作詞:小田朋美
作曲:越智俊介
La La La (Bird Song)
作詞作曲:小西遼
春うらら
作詞:小田朋美
作曲:石若駿
ながいよる
作詞作曲:小田朋美
英詞 & outro lyrics:小西遼
demo #01
病室でハミング(Live Ver.)
作詞:文月悠光
作曲:小田朋美
4th EP Temporary vol.2
かりそめDiva
作詞:小田朋美
作曲:井上銘
IDFC
作詞作曲:小田朋美 小西遼
interlude#1
作曲:小西遼
Crawl
作詞:小西遼 Seiji Morita
作曲:小西遼 小田朋美 Seiji Morita
interlude#2
作曲:井上銘
素敵nice
作詞作曲:小田朋美
Rise
作詞:井上銘 小田朋美 作曲:井上銘
まあなんで急にこんなリストを作ったかというと、
9月30日に渋谷O-EASTで井上銘脱退ライブがあるので
セトリの見当をつけておきたいな~
改めて井上さんが作成に携わった曲を押さえておきたいな~と思ったためです。
なので、井上さんがかかわった曲を抜き出すと
- 簡単な気持ち
- エメラルド
- かりそめDiva
- interlude#2
- Rise
ですね。意外と少ない...?し、初期に2曲、最新EPに3曲というラインナップです。
結構ばらつきがある。
30日に向けて気持ち高めていきます。
CRCK/LCKSライブ『Martian Clouds』@新宿MARZに行ってきた
7月2日にCRCK/LCKSのライブに行ってきた。この状況なので行くか行かないか少し迷ったが、Twitterで見た限りかなりの倍率だったっぽく、当選したなら行かなくては...という使命感に駆られたため行った。ちょうど東京での仕事があり、翌日が休日というスケジュールだったというのもある。
仕事の終わりが伸び、池袋から新宿MARZまでタクシーで向かった。雨が降っていた。運転手さんがそのライブハウスの存在を知らず、少々迷ったのもあり、到着したのは対バン相手であるモノンクルの1曲目途中だった。
元ベーシストの角田さんが所属するモノンクルではあるが、私はそれまで一度も曲を聴いたことがなかった。つまり、どれもはじめて聴く曲ではあった。けれど、吉田さんの力強いボーカルと角田さんのベースのグルーヴ感に、自然と体が動いた。吉田さんのボーカルはしっかりと観客とつながっていて、心を通わせながら歌っていることが感じられた。数年ぶりに生のライブに参加したというのもあってだろうが、めちゃくちゃ、楽しかった。
もっと聴いていたいな~というところでCRCK/LCKSにバトンタッチ。クラクラのライブ、控えめに言って最高でした。超興奮した。
角田さんがいるということもあってか、曲はどれも2018年に発表したアルバム『Double Rift』以前のもの。私は特に初期の曲が好きでよく聴きこんでいたので、本当にうれしかった。
さらに箱の小ささや観客の少なさによって、バンドのメンバーほぼ全員を視界にとらえながら曲を聴くことができる環境だったというのも良かった。この状況が終わったらこんなにいい場所でライブに参加することなんてできないんだろうなあと切ない気持ちになった。
特によかったのは、『Shower』『窓』『傀儡』『ながいよる』。『ながいよる』はゲストに吉田さんを迎えてのパフォーマンスだった。それを知ったとき、私は正直嫌だなあと思った。小田さんの、クラクラの『ながいよる』が聴きたいと思ったからだ。でも、本当に最高のパフォーマンスだった。吉田さんと小田さん、スタイルの異なるふたりのボーカルの化学反応は、1+1を無限大にしてみせた。すごい夜だった...。
あと、ただただ個人的に傀儡が好きなので、刺さった。聴くときの状況によって思い浮かべる相手や気持ちが変わる。音楽って本当に面白い。
あと、Showerのときに特に思ったのが、小西さんのボーカルが超いいってこと。
結局、最高だった。本当に行ってよかった。これ以上のライブをこれからの人生で経験できるだろうか?と不安になるくらい最高だった。前回のクラクラのライブの途中に立ちくらみを起こして退出してしまったので、リベンジを果たせてよかった。9月にあるらしいO-EASTでのライブにも絶対行きたい。