怠惰

怠惰である自分が嫌いという怠惰を。

好きだった人とラ・ラ・ランドと雪

昨日、ラ・ラ・ランドを観た。ザッピングしていたらちょうど始まったばかりのところで、観るか観ないかすごく迷ったけれど、観た。通算3回目の鑑賞。でも以前観た時とは全然違う感想を抱いた。面白かった。

 

高3から大学生になるときの春休み、当時好きだった人と映画館に観にいった。自分の境遇とあまりにも重なってしまって悲しさしか感じなかった。高校3年生というタイミングで自分の恋心に気づいたというのは遅すぎたし、初めてのデートが進学前の春休みというのも、あまりに遅すぎた。付き合ってもいなかったけれど、両思いの二人は道を分かれなければいけなかった。これが1回目の鑑賞。

 

その次の日、初めて観るというテイで女友達2人と観にいった。彼女らの方と先に約束していたので、2回目であると公言するのは憚られた。でも一人だけ彼女らと違うタイミングで大泣きしていたりなんだりしたので、ばれていたかもしれないと今では思う。あまりにもスパンが短すぎて、その時の感想は昨日のにオーバーレイをかけたような感じだった。三者三様の感想で面白かった。他の二人は割とさっぱりしていて、今の自分を形作るうえで大切な恋だったと別れを肯定的にとらえていたが、私はひたすらに悲しかった。これが2回目の鑑賞。

 

そして昨日。3回目の鑑賞だというのに変わらず面白かったし、声を上げて泣いた。でも悲しさは減った。別れというよりも、道の分ちなんだなと。でも最後の巻き戻しはずるいよね。同監督作:セッションもラストが本当にずるいんだけど、これもずるい。

でもきっとこうだったかもしれない未来を見せられているのではないんだな、と思った。絶対にこの未来はありえなかった。ありえない未来を見せられているんだなと感じた。だってこれは、セブの脳内だから。ミアはこんなこと絶対に考えていない。あくまでもミアにとってセブはこれまでの人生の一要素として昇華されているのだ。

最後のミア表情で、女は強いなと思わされた。それに対して、暗く影が落ちたセブの表情。彼は本当に今でもミアを愛しているのだと思う。その愛がどういう愛なのかわからないけれど。だからこそパリへ行く前のミアに「ずっと愛してるよ」と言ったとき、その気配を感じて私は泣いた。

でもセブはセブで幸せに暮らしているんだと思う。愛する人が心にいるのは強い。きっとその日ミアに会わなければ、心は平安だっただろう。思い出して辛くなってきた。感想ばかりを並べてしまってごめんなさい。

 

今朝、起きたら雪が積もっていた。ラインを開いたら、好きだった人からラインが来ていた。「ラ・ラ・ランド観てたら連絡したくなった」「元気?」と。0:30ごろに。ちょうどそのころ私は布団に入った。私たちはつくづくタイミングが合わない。でもこれでよかったのかもしれない。

「元気よ」「ならいいんだ」「○○君は?」「元気だよ」「よかった、ありがとうね」「うん、じゃあね」そんな意味のない、でも尊いやり取りをして、終わった。もう会うこともないだろうし、連絡だって取らないだろうから、またね、とは言わなかった。

 

今、私の心はあたたかい。