怠惰

怠惰である自分が嫌いという怠惰を。

壊れた世界にて

友人から貸してもらった『きみとぼくの壊れた世界』を読んだ。彼からはよく西尾維新作品を貸してもらっている。彼から借りる以前も、ニシオイシン先生の噂はかねがね聞いていたのだけれど、本を読む習慣を失くしてしまっていた私は手が出せていなかった。苦手な中学の同級生がハマっていたからというのもあるが(むしろそちらが大きいか)。

以前にも世界シリーズの他3作と、『クビキリサイクル』『クビシメロマンチスト』、美少年探偵団シリーズ何作かを貸してもらって読んだ。何で早く読まなかったんだろうというか、自分に似ているなんて露ほども思わないけれどどこか同質で、いつも読後感が悪い。それでも次を次をと望んでしまうのはなんなんだろうか。少し人間というものを知れたような気になるからかもしれない。人間離れしているようでいて人間の臭さを凝縮したような小説であると感じるから。

 

で、今回読んだ『きみとぼくの壊れた世界』は、もちろん面白かったし、とても刺さった。読んでいて痛かった。もちろん登場人物と私とが似ているということは、先述した通りない。全くない。それでも自分に重ねてしまう部分というのが確かにあった。

本自体の感想を述べるのは私なんて比べ物にならないほどの感受性豊かな先達がやってくれているので軽くにしておく。ここからは、読む人によってはネタバレともとられかねないので注意されたし。

 

西尾維新の作品を読むとやはり裏切られるというか、負けた感というか、そこが面白いところなんだけれど、そんな感覚がある。作者は一体どういう人生を送ってきて、何をどう考えたらこういう人物を描写できるのか、ただただ疑問だ。化け物だなと思う。

今回かなり頻用されていた「終わりの続き」という表現がやけにしっくりきた。それと同時にまだ何も完結していない自分に安心した。少し救われたかもしれない。

あと個人的に、様刻くんが倫理に別れを告げるシーンは心にくるものがあったし、同時にクるものがあった。5回ぐらい読み直した。

 

まあここからは考えたことだけれど、途中まで私は思い違いをしていて(させられていて?)、様刻くんが世界とのつながりを求めているというか、そのための彼女ちゃんかと思っていたのだけれどそんなことはなく、むしろ逆だったという。

感心しかしないのだけれど、様刻くんはなぜそんなに利他的になれるのか。利他的と言うと少し違うかもしれない。結局最良の選択をしてきたはずの自分が最悪になっていることについて悩んでいる風であったし、自分に結実することを望んでいるのだろうけれど、それでもすごい。

最良の選択をするときにまるっきり自分を度外視する。だからこそ様刻くんはその選択がためらいなくできる。逆に私は、自分の快不快を考えてしまう。だから選ばないということを選んでしまっているのだろう。

そして、世界との繋がりについて。私は誰よりもスキンシップやらセックスやら恋人関係に執着しているのかもしれないなと思った。それがあれば世界と、誰かとつながっていると実感できる。誰かと繋がっていたい、誰よりも愛されたい、誰よりも独占したいのは私なのかもしれない。なぜひとりに絞らないのか。それは簡単で、リスクヘッジのためだろう。そのひとりがいなくなれば私は世界から簡単に消えてしまうから。

 

黒猫さんのような哲学者になりたいと思いつつ、様刻くんのような自己疎外者になりたいと思いつつ、自己中心的な今の私でもいいかもしれないと思った。なにより、普通の人間はグラデーションだから、私の中には黒猫さん的部分や様刻くん的部分、夜月ちゃん的部分がある。と思いたい。

極端な人間に憧れてしまうのも普通の人間の性だろうということで、そろそろ現実の世界に戻ろう。